きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

幸せな電話

今日は夕方、ランニングをした。
12月の那覇ラソン(フルマラソン)出場に向け
ちょっとずつでもいいから走り続けないと・・・と思っている。
仲間がいるからまぁ大丈夫だろう。

今日はなんだか海も見たかったし、海辺を走りたくて
車で海が見える公園まで行った。
公園の駐車場に車を止めて体をほぐして走り出す。

ゆっくり気持ちのいいペースで走るのだけど坂はやっぱりきつい。
波の音を聞きながら走る。なんかいい気分だ。

海沿いのロードをひたすら走る。
20分近く行ったところで折り返す。
たぶん往復すれば5キロだろう。目算だけどね・・・
もうすぐ30分。ちょうど車を止めた公園近くというあたりで携帯電話が鳴った。

尊敬する先生からだ。びっくりした。
私が外にいることが音でわかったらしい。
お忙しい方なのに、また今日はお休みなのに個人ゼミのこともあり、お電話をくださった。
運転中らしく、大丈夫かなと思いそれを言うと
「運転中が一番人と話せるなと思って」とおっしゃった。

確かに車中は一人になれる貴重な時間かもしれない。
考えたり、話したり、思いだしたり、構想を練ったり・・・

私は走った後のハイテンションを抑えようと努め、
急いで呼吸を整えながら電話を続けた。
明日の個人ゼミの時刻の確認と昨日の帰路のこと。
詳しくは書けないけれど院生の問題についての共有や
私へのフォローだった。

指導教官は、私より先にその問題について気がついて(情報を得て)知っていた。
私は事実をよく知らず、気がつかなかったので
昨日初めて知って予想外のことに驚いてしまった。
指導教官はおよそ次のようにおっしゃった
・誰の課題かを考えること
・本人にどうしてほしいか聞いて対応してきた
・コップの水を満たし合っていけるといい。職員集団でも同じことがいえるね。
・巻き込まれすぎないように、でも(いざという時)必要な時に感情を出せる役に
 なれるといいと思っている。

私は自分は深い部分を何もわかっていなかったと思った。
見えているようで実は見えていなかったんだなぁと。
それなのに以前先生がおっしゃっていたことに対して
「なんでそんな風に言うんだろう?」といろいろな感情がわいたっけ。
今思うとちょっと恥ずかしい。

また、先生は事実を知っていたのに私たちに無理に押し付けるようなことは
言わなかった。

しかし、こういった微妙でかなり個人的な問題は研究には全くと言っていいほど
関係ないことだ。
そんなことまで尊敬する指導者に泣きつきに行くこと自体、
時間を奪い、迷惑や心配をかけていると思う。
普通に考えるとありえないと思う。なんだか申し訳なく思えて
院生の一人としてその気持ちを伝えた。
(自分自身も迷惑をかけていることもあると思ったし)

しかし、先生は私たちが、今よりたくさんの子どもを元気づけることが
できるようになって(パワーアップして)
修了してほしいと思っているから、支えになりたい
と思っているというようなことをおっしゃった。

なんていったらいいのかな・・・
気持ちがあったかくなった。
こういう人間味のある本当の指導者もいるんだなぁと。

この方は本当に「先生」と呼ばれる方にふさわしいな~
多くの方がこの方を慕う魅力はこの「あたたかさ」「やさしさ」にあるんだな~
と感じた。

私や他の院生たちにとっての「安全基地」であり、
こんな風にささえていただいていることを感じるたびに挑戦意欲がわいてくる。
関係性の問題であり、受け取り方もあると思う。
だから、その方がすべての方にとってそういう存在であるかはわからない。
しかし、私にとっては素晴らしい指導者だ。
この方に出会えて、そばで学べる幸せを思いながら帰宅。