きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

違和感

QUを活用した情報交換会。
プロットの仕方に何となく違和感を感じた。
やり方について、得点をあげればいいように、プロットがよくなればいいように感じてしまったから。

その子の回答なのだから、それはそれで話を聞いて、子どもの話具合によってつけた位置を修正する必要があるのかな?と思ったのである。そうすれば、ほとんどが満足群に位置することになるだろうけれど、果たしてそれでいいのかな・・・と。
1年生(や低学年)はその日、その瞬間の感情で答えている子も確かにいるけれど、その瞬間はそう感じたということだと思う。
もちろん、気になる回答の子からはよく話を聞いた。(どの担任もそうだろうけど)でも、修正をするのはどうなんだろう・・・

そもそもQUは何のために取るのか?「多くの子が満足する学級をつくるため」が目的ではないと思う。

子どもの認知を知ることで個々や集団づくりを見直すきっかけにする、それでいいんじゃないかな、と思った。
いくら担任(やまわりの子)が認めていても本人が「認められている」と感じない場合もあるわけで・・・その子はそう感じているんだということを知ったり、必要ならば情報交換会にそのことを出したりする方がよいのではないか。

な〜んていろいろ考えた。でも、自分の考え方をズバリと伝えることは難しかった。立場や関係性もあるので・・・

取った後、面談をして子どもの回答を修正することに、わたしは違和感を感じた。だったら、取る意味がないのでは?
他の人たちはどうしているんだろう?

凝集性があまり見えないプロットだと「崩れかけている」と一般的に解釈されてしまうのもどうなんだろう。
そんな感触はないのだけれど。
感覚や主観で手ごたえを判断しがちな学級づくりに関して客観的資料の一つとしてQUは有効だとも思う。だけど担任個々により、取り方や解釈に差があるのも事実なのだと感じた。

そうはいってもやっぱり、満足群に9割が入っている学級に憧れるのも本当である。
今は11月。残りの日々をどう使うかだ。
今が9割ではなくでも、だいじょうぶだろうと思っている。
だってまだゴールじゃないし。