きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

暴走宣言?

今週、指導教官が話してくれたことでいろいろな思いがわき、
自分では受け止めることができないほど
もやもやし、あふれつつあった。

尊敬する方が言うことだからこそ
一言一言をちゃんと聞くし
行動できる自分でいたいと思っているしそうしてきたつもり。

でも・・・・
指導教官が何げなく言ったことでも
重々しく受け止めてしまう私は、指導教官のある言葉に
私の気持ちをわかってくれない!!という感情を抱いてしまっていた。
まるで大きな子どもだ。

昨日、別件でメールをくださったのでその返信に便乗し、
自分の正直な気持ちを吐き出すように書いた。
書き終え何度も読み直して送信した。
1時間くらいかかったと思う。

夜に送るメールはこわい。
興奮して書いたり、感情的になっている部分が多々あるからだ。
少しでもそれを抑えようと努めて書いたつもりだが
やはり感情人間のわたしのメールは内容が重かったかもしれない。

書いたことで伝えたことになり、
自分の気持ちとしてはかなりすっきりしていた。

朝、返信のメールがあった。
それを読み、また考えた。
私が指導教官の意図をよく読めていなかったこともわかった。
指導教官は昨日、体調が悪かったようなのに、私は自分のことでいっぱいいっぱいに
なって相手のことを気遣えずにいた。
反省・・・

「わかってくれない」とか思い勝手にいじけて
でもやり取りをしたら私の思い違いもわかり「よかった~」とにこにこして
しまうなんて本当に我ながら単純だ。


午後、大学に行くと院生室に指導教官が登場した。
メールのことを直接話す。
すっきりした。
やはり、直接話せるのはいいものだ。

何度も書くが
私は今の指導教官を本当に尊敬している。
実践家としてもすごい方であり、なおかつ人柄があたたかく、
話していると勇気が出るし、人間として尊重してくださるのが伝わる。
素晴らしい指導者に巡り合えた幸運に感謝している。
今もこれからも大きな影響を受けるだろう方。

そんな尊敬する方に自分の気持ちを吐き出すようにしてしまった恥ずかしさもあったけれど
もう恥ずかしがっても仕方がない。
傍で学べるのは2年間しかないし、人生はいつ何があるかわからない。

自分らしく進んでいきたい。