きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

第5回グラフィッカーフェスティバル振り返り

2019年の学び始めは表題の会へ参加。

感じたことを幾つか。

1 ファシグラも板書も「ツール」であること。育てたい子ども像、

 子どもの実態により何をどう使うかが決まる。

2日間を通して感じたこと。一斉授業も板書も力量が必要。附属で鍛えられている樋口先生夫妻の模擬授業、私は面白いと感じた。子どもとのやり取りについて例えば言葉かけなどに対するコメントもあったが、教室でのやりとりであれば先生とその子たちとの物語だから違和感を感じる大人がいても教室とは違うのではないか。しかし、違和感を感じる子がいるかもしれないという自覚は必要。

2 自分の学びやすさは誰かの学びにくさ

 この言葉はとても心に残った。そういう自覚が必要。だからすべての子にとって有効なことなど恐らくないのだろう。この時は全体を、今はAさんを。今日は半数を。明日はBさんを…と折り合うことも考えられるだろうか。

 

3 対等性の保障

対等性が感じられないとせっかくの対話の場が機能しない。少なくとも自分はそうだった。2日目のグループワークは全くダメだった。個人思考の方がよかったくらい。

藤原先生の模擬授業でのGWはゆるやかで方法をアバウトに示し、でもどうやってもよいという選択を学習者に委ねた。しかし、ルールと言うかマナーがあいまいで、一人がしゃべりすぎたり、発散するときに既に個人の解釈や収束へ向かう流れになり、指示を守ろうと発散したかった自分は入れなかった。互いの発言への敬意というか対等性の保証がなされておらず、話し合いが難しかった。例えば赤坂先生の講座などでは、最低限のマナーだけはきっちり確認する。その有無は安心感の有無。不安で最後は不完全燃焼感があったが、対話のむずかしさと不足条件を見いだせたことは収穫でもあった。

そして、大阪という地域柄、自己主張が強く感じるような言い方、表現方法がそうさせるのかなとも考えた。子どももそうだとすると大阪で教員をする人って強い!

 

4 時代の変化

インスタにすぐアップ、常に携帯かパッドで検索。返信は秒単位。ノートでなくパッドにペンで描く。あっという間にネットでつながる・・・

正直引いた。ついていけないスピードと一部のつながりによる疎外感。

年代かなあ…

 

セミナーの講師の方、以前も参加された方とは話しやすかったが、大阪で、初任、数年目、ツイッター関係者…自分たちだけの知り合いとの空間を強める空気管が満載だった。

 

インスタ女王、附属夫妻、誠実で女子力の高い年下男子グラフィッカーとの出会いもあり、出会うことが目的だったこともあるからその点では行ってよかったとは思う。

 

しかし…

「隙間産業でやっている」という言葉、「仙台の講座は引用が多かった。リベンジしませんか?」の言葉はちょっと傷ついたな。仙台の時は、すごく時間をかけて講座を作ったんだよな。実践発表では、仙台の人にばっさり切られたけど…。

今回も企画はよいと思うが、違和感が残った。

互いに学びたいという気持ちで数回参加してきたのであり、学び仲間と思っている私に主催側からの仲間意識が感じられないなと思った。そこがとても残念。

こんな感情はとても悲しい。いつまでも人は同じではいられないといえばそうだけど。

いろいろ考えた学び始め。