きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

1週間を終えて

年度と一緒に世界が変わったと感じる異動。3年ぶりの一般校、通常学級担任だからか、初任校以来の超大規模校だからか。コロナ関係の対応があるからか。
勤務してまだ8日。クラスの子どもと出会ってまだ4日とは思えない時間が流れた。
今年は5クラスある5年生の担任になった。久しぶりの高学年。配った教科書の厚さ、重さ、多さに驚く。初日の5年生の子どもたちの印象は「かわいい」
互いに猫をかぶって過ごした蜜月の4日間。

周りの先生方は、仕事ができる方が多い。何でも教えてくれ、助けてくれる。とても忙しいが温かい職場。一方で児童数が多いためか、各部が頑張るためか、全体でそろえたり、やることが多いと感じる。慣れないこともあるかな。一年たてばあたりまえと感じるのだろうか。
ゆとりがなく、子どもたちが見えない。看取る力量不足もあるか。
ついていく、こなすことに必死。
学級の諸準備も遅々として進まずつい周りと比べ焦りがあるが、目をつぶることにした。「一緒にゆっくりつくっていこうね」と自分に言い聞かせつつ子どもに話す。自分としては珍しい。システムの不具合で学級がぐらつくと嫌だなと思っていろいろ決めてリードしスタートダッシュをするタイプだったけれど、今年度はそうはできそうにない。でも、違うつくり方を経験してみようかなと思う。関係がこわれないようにしつつ。
そして、授業も始まってきた。高学年の教育課程の多いこと…。持ち帰ったたくさんの教科書。算数、社会、国語の準備をしましたとも(^_^;)

新年度3日が終わる

年度末はお休みをもらったため、今週は着任してわずか3日間の勤務。にもかかわらず、どっと疲れた。学年の先生方も周りの先生方も聞けばなんでも教えてくれる。助けてくれる。援助要求スキルを出すことの良さを実感。

このことは、子どもたちにも伝えようと思う。
どの部会でも仕事の分担時には立候補する先生方が多く、それにも感動した。若い先生方が多い職場だが、機器に強く、仕事も速いし、頼もしい。実力派の先生方も多くて熱心。気がつくと比べてしまい、自分のキャラに合った貢献の仕方は何かないかなと模索開始。お菓子作戦か😅
今の自分は、久しぶりのせいか、大規模すぎるためか掃除でも給食でもイメージがつきにくく、思うように仕事が進まない。早めに進めて見本を示してくれ、誰の質問にも穏やかに答えている学年主任が眩しすぎる。これが異動だといえばまあそうか。

でも、今いただいた親切や感じた気持ちをできるだけ残しておき、来年の今頃の自分の行動に活かしたいと思う。今すぐは無理でも…。


また、コロナ関係の対応で前年までとは違うことが多く、考え抜かれた提案が中止や再提案になったりなんだりかんだり。安全最優先だから仕方がないけど。
うちの市は来週から新学期が始まる。しかし、禁止事項、注意事項が多く、学級びらき、関係づくり、授業開き、給食開始などがどこまでできるのだろうかと不安もある。リスクを減らすための対応は様々講じるが、万が一を考えると学校は、難しいことが多いなと思う。
そんなこんなの1週間。

異動の新年度

今日から新しい職場へ。市内で最も大きく歴史のある学校ということでとても緊張して行った。異動はこれまでに何度も経験しているが、こんなに緊張した日はないのでは?というくらい。夕べはあまり眠れなかった。

校舎も広く職員も多く、子どもももちろん多く…
所属学年の先生方はスピーディな主任を筆頭にみなさんいい方。若い先生方が多いが優しく頼もしい。自分以外みんなすごく見えるからそれはちょっと切ないけれど。

会議、要録わけ、書類に児童氏名押印、子どもの引き継ぎ、学年の顔合わせとベクトル合わせ…段取り王の主任のおかげで濃密な一日だった。

子どももいろいろな特性の子がいるし、何より久しぶりで授業も心配(^▽^;)

でも周りを見ながらゆっくりやってこうと思う。相談しながら。

 

今日いただいた優しさや助けていただいたことは今すぐは無理でも来年、次の方々に返していこうと思う。忘れないように書いておく。

また学級担任に戻れる喜びと目の前の子どもについて悩める幸せを感じることができる一年になるといいなあ。

 

ブログ再開

久しぶりのブログ。

いろいろなSNSが出てきてブログを書くことをやめてしまっていた。

年度も変わる今、実践を中心にブログに書こうと思う。

 

記録を残すことで

自分で考えること、振り返りに役立てることとしたい。

 

第5回グラフィッカーフェスティバル振り返り

2019年の学び始めは表題の会へ参加。

感じたことを幾つか。

1 ファシグラも板書も「ツール」であること。育てたい子ども像、

 子どもの実態により何をどう使うかが決まる。

2日間を通して感じたこと。一斉授業も板書も力量が必要。附属で鍛えられている樋口先生夫妻の模擬授業、私は面白いと感じた。子どもとのやり取りについて例えば言葉かけなどに対するコメントもあったが、教室でのやりとりであれば先生とその子たちとの物語だから違和感を感じる大人がいても教室とは違うのではないか。しかし、違和感を感じる子がいるかもしれないという自覚は必要。

2 自分の学びやすさは誰かの学びにくさ

 この言葉はとても心に残った。そういう自覚が必要。だからすべての子にとって有効なことなど恐らくないのだろう。この時は全体を、今はAさんを。今日は半数を。明日はBさんを…と折り合うことも考えられるだろうか。

 

3 対等性の保障

対等性が感じられないとせっかくの対話の場が機能しない。少なくとも自分はそうだった。2日目のグループワークは全くダメだった。個人思考の方がよかったくらい。

藤原先生の模擬授業でのGWはゆるやかで方法をアバウトに示し、でもどうやってもよいという選択を学習者に委ねた。しかし、ルールと言うかマナーがあいまいで、一人がしゃべりすぎたり、発散するときに既に個人の解釈や収束へ向かう流れになり、指示を守ろうと発散したかった自分は入れなかった。互いの発言への敬意というか対等性の保証がなされておらず、話し合いが難しかった。例えば赤坂先生の講座などでは、最低限のマナーだけはきっちり確認する。その有無は安心感の有無。不安で最後は不完全燃焼感があったが、対話のむずかしさと不足条件を見いだせたことは収穫でもあった。

そして、大阪という地域柄、自己主張が強く感じるような言い方、表現方法がそうさせるのかなとも考えた。子どももそうだとすると大阪で教員をする人って強い!

 

4 時代の変化

インスタにすぐアップ、常に携帯かパッドで検索。返信は秒単位。ノートでなくパッドにペンで描く。あっという間にネットでつながる・・・

正直引いた。ついていけないスピードと一部のつながりによる疎外感。

年代かなあ…

 

セミナーの講師の方、以前も参加された方とは話しやすかったが、大阪で、初任、数年目、ツイッター関係者…自分たちだけの知り合いとの空間を強める空気管が満載だった。

 

インスタ女王、附属夫妻、誠実で女子力の高い年下男子グラフィッカーとの出会いもあり、出会うことが目的だったこともあるからその点では行ってよかったとは思う。

 

しかし…

「隙間産業でやっている」という言葉、「仙台の講座は引用が多かった。リベンジしませんか?」の言葉はちょっと傷ついたな。仙台の時は、すごく時間をかけて講座を作ったんだよな。実践発表では、仙台の人にばっさり切られたけど…。

今回も企画はよいと思うが、違和感が残った。

互いに学びたいという気持ちで数回参加してきたのであり、学び仲間と思っている私に主催側からの仲間意識が感じられないなと思った。そこがとても残念。

こんな感情はとても悲しい。いつまでも人は同じではいられないといえばそうだけど。

いろいろ考えた学び始め。

 

冬休み最終日

冬休み最終日。仕事始めの方が多かっただろうが
年休をいただいていた。
ちょっとだけ仕事に行こうかな
やっておけば楽なこともあるし
とも思ったが
平日にしか行けないところに行き、
受験勉強をするとお昼に。


午後は読書をしながらだらだらと過ごしてしまった。

夕方、薬をもらいにかかりつけの医院へ。
薬りはまだあったが、仕事が始まってバタバタすると
行きにくくなるかなと思って。
今の校種に来て一番思ったのは
あくせく仕事だけをするのはやめようということ。
ストレスも大きき、体調を崩したことも大きい。
無理をしすぎないようにとどこか思う。
無理なんて何もしていないけど…

明日明後日は研修会。
今はちょっと面倒になってきている(^▽^;)

冬読5『坂の途中の家』

坂の途中の家 (朝日文庫)

坂の途中の家 (朝日文庫)

角田さんらしい人物の心情をこれでもか!と繰り返し突き付け
てくるから自分と対峙する重めの一冊。
テレビドラマ化するみたい。

幼児虐待事件の裁判員に選ばれてしまった主婦が、
その裁判の判決にかかわる過程で、夫や娘との関係、
何より幼少期からの自分自身について向き合う内容。

事件の加害者について考えているようで
自分自身をさばいていたことに気づく。
自分の夫が自分を上下関係で下に見て支配することで
自分を保っていることにも。

それにしても・・・結婚も子育ても自分の育ってきた家庭や
環境が考え方を作り、大きく影響することを考えさせられる。

まあ小説だといえばそうなんだけど。