きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

ステージの変化?

休みだけど少しだけ仕事をした後、最近気に入っているお店でのんびり読書。

最近、よく話を聞くようになった、堀先生の書を再読しながら
自分のあり方について考える。

今の職業についているということそのものが
自分にとって、かなりのアイデンティティを占めていると思う。
時々苦しいけれど、でも、この先も成長していきたいという気持ちに
変わりはない。

大学院で学んだこと、得たものは多い。
あの2年間の前と後では仕事の仕方も少し変わった。
何より考え方、身を置く場所の変化が大きかった。

昨日、親しい友だちであるひとみとご飯を食べに行ってきた。
夏の相談をしがてら久しぶりに会おうということだったのだ。
つき合いが長いし、なんでも話せて気楽なんだけれど
帰ってきてどうも今一つすっきりしないのだ。
それはこのところそうで、前回春に会った時も確かに似たような気持ちを
感じたのだ。
友だちが前よりわたしだけでないつきあいが占める割合を
増やしているからかなぁと振り返る。

院に行っていた2年間、友だちとは住まいが離れていたこともあり少々疎遠だった。
でも、そのあとはまた付き合うようになったはずなんだけど…
友だちの身の振りが少し変わったことも影響しているかもしれない。


そして、ここ4年ほど親しくしているしんちゃんとの関係も少々疎遠になりぎみ。
忙しいのはお互いさま。
でも、以前ほど尊重されていないように感じてしまうようなことが続き、
大事にされていないのかなぁ~と思ってしまうこの頃。
家族でも肉親でもないのだから、肝心な時はやっぱりコストをかけないと
伝わってこない。

相手からの態度と同じような温度で付き合うことがベターなような気がして
わたしも気持ちを開きにくくなってしまっている。
なんて…相手のせいにしてはいけないけれどね。


年月が過ぎ、いるステージの変化により、自分の気持ちが変わってしまったのかもしれない。

ともだちもしんゆうもかつては居心地のいい相手だったのに
こんなふうに感じること自体なんだかさびしいなぁ…

人間関係の距離感はむずかしい。
そんなことを考えながら
一昨年学んだステージの変化の話を思い出した。

同じフロアにいる人と引き寄せ合うのが
人間関係だとしたら
お互い日々成長しているのだから
そのペースが違う場合、一時的に関係が疎遠になる、あまり頻繁に付き合わなくなるのは
ステージの変化と考えられなくもないなぁと思ったのだ。

そういう解釈が当てはまるのかどうかはわからないけれどね~