きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

学級づくりを学び直す

下越講座に参加してきた。

最初は「教育相談を生かした学級経営」興味深いお題。
suzuki先生のお話に、子どもの困り感に寄り添うとは?を考える。困った子から困っている子へとは、時々聞く言葉だが、その子をわかろうとして聴くことはなかなか簡単じゃない。でも、その子のもっているもの、今、できているところに注目してみることは、配慮がいる子とか特別な支援を要する子だけでなく、通常学級のすべての子に対して担任ができることではないかと考えた。
リソースを生かした支援をすること。
子どもによさを気づかせることもそうだし、保護者にも、今できていることを伝えることは、言葉を変えると「勇気づけ」ではないかなと思う。
suzuki先生には、昔、研修でロールレタリングを教えていただいたことがある。その時も視点を変えてみることを教えてもらった気がして印象深かった。

2つ目はakasaka先生のお話。
先月、悉皆研修で「学力向上」についての講義を聞いた。今日は学級づくり。
前半は、これまでもちらっと聞いたなと思いだしながらす〜っと聞ける。途中で、「そうだった」「分かっているけど日々はなかなか…」と、自分の学級づくりを思い、胸が痛む。この頃、赤坂先生のお話を聞くとたまにそういうことがある。分かっているのに、そう学んだはずなのにと思うからだ。
わかっているなら、やろうよ、である。痛みとともに、こうして時々振り返る機会がもてるということでよしとしよう。
自治的集団をつくることだけでよいかという後半のお話は面白かった。そこにもっていきながら、話は終わらず、視点が変わっていくから。
学級づくりの原理に触れたお話だった。よくわかった。「学力向上」でも原理を生かして行うことの大事さを教えていただいた。

ただ、自分が目指す学級や子ども像を描く、語ることを考えると、子どもに求めるそれができているのか?ということを考えることにもなる。そうなるとドキリとしてしまう。言葉でかっこいいことを言っても、本当に自分はそんなに人を思いやっているかとか、人の成長に積極的に関わっているかとか思ってしまうから。

いろいろ考えたいい時間。
そして悲しいけれど、忘れてしまい、また聞いて「そうだった」と思うことになるんだろうな。