きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

過去と今

昨日の出張でお昼に出ようとしたら名前を呼ばれる。
お世話になった先生が今は、県センの指導主事だったのだ。久しぶりにお会いした。大学院修学前にも「行くといいよ」と応援してくださったのだった。近況を聞かれたので話す。

以前、ある団体のセミナ−や講座、サークルによく参加していた。それしか知らなかったということもあったのだけど。「もう参加しないの?」というようなことを言われる。ドキリ。
最近、全く行っていないから。「話すと長いのですが…」と前置きし、少しだけ話す。「問題解決型の学校に来て…」とも話したが、それだけが理由じゃない。
あとで、なんだかうまく説明できなかったなぁと思ったが、時間をかければちゃんと話せるわけでもないし、ま、仕方ない。

ある考え方が嫌になったとか、そういうことでもないんだよなぁ。勉強になったことはたくさんあるし、教師としてのある時期、そこからたくさん学んだと思う。今でもそれを生かしていると思うし、感謝している。

そこから学ぶことをやめたというわけでもない。(今、興味が薄れたのは事実なんだけど)

今は他に学びたいことがいくつかある。自分が今この時、いいなと思うことを選択し、学んでいるいるだけ。体は一つしかないし、自分はいっぺんにたくさんのことをできない、というだけなんだ。
言い訳に聞こえるかな。

ほんものにするには、一つのことをわき目もふらずに10年くらいは学ぶ必要があるのかもしれない。振り返ると私は真剣だったのは5、6年くらいで、違うことに興味が移ってしまったので、ほんものにはなっていないのかも。

でも、過去は過去だし、今は今しかないので、可能な限り自分の学びたいことを学ぼうと思っている。


単に、飽きっぽいのかもね。