きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

本物

大学院時代の友だちが、実践論文を送ってくれた。
コメントを…というのでじっくり読んでみた。
ヒロシマ、原爆から平和について考える道徳授業の実践論文。
授業者は大ベテランの先生で、友だちは共同研究者であるようだ。


1 授業したい教材への強い思い入れ
現地取材を始め、クラスや学年を変えて何度も授業をし、分析し、修正していた。その過程でまた関連素材に出会い、授業を進化させていった。授業者の思い入れやエネルギーを感じた。
2009年の第1次と2010年の第2次では、同じ題材を使った授業でも今でも悲しみや捜索が続いていることまで知らせ、「風化」まで扱う授業に膨らんでいた。
これだけでも戦争の悲惨さだけにとどまらない、一味違う授業だと思うた。
また、2011年は、時間や対象を変え、全く違ったものに授業が「進化」していると読みとった。
「二度死なせない」とは、語り継いでいく、亡くなった人のことを忘れないということだろう。

2 「授業の進化」
表現が面白い。「授業改善」でもいいのでは? と思ったが、完成を目指しているからあえて「進化」としたのだろう。それも筆者の授業観であり、主張の一つか。
また、生徒の「授業感想に進化のヒントがある」というとらえもいい。
 これがPDCA。 大学生にも授業をする機会があって行ったそうだが、するどい感想もあったし、意外と面白かった。教師としての視点もあるとは・・・

3 教師の姿勢
幾つになっても新しいもの、よりよい授業を求める姿勢が本物の教師なのだと思った。経験年数、キャリアに甘んじず、今よりさらに良いものを求める姿勢。書くと簡単だけど、実際にするとなると・・・
たとえば朗読という授業行為の技術一つにしても幾度も練習・発表し、より良いものにしていくこととか、教師が準備に準備を重ね、協力者を得て、改善し続けてこその「授業の進化」につながるのだろう。 

4 授業の可能性
3年かけてもこれで完成とせず、更に2時間扱いとして再構成する、または平和学習として単元化するなど、授業感想からまだまだ進化の可能性を見出している点も魅力的だと思う。
授業したい素材を見つけること、授業化すること、進化させること、それは全部教師次第なのだろうか。

5 授業の進化を保証する条件
7つも書かれていた。そんなにあるのか、と。4でも書いたが、どれも教師次第だなと思う。
だとするとちょっと普通の教師にはつらいかなと。ただ、本当に納得のいく授業を創造するということは、簡単なことではないから、普通の教師がつらい、大変だと感じても仕方ないかもしれない。
だからこそ、1に書いた強い思い入れが必要なのだろう。このことを伝えたい、これを授業にして子どもに考えさせたい、この授業が必要だ、などのね。
思い入れが強ければ大変さはあまり感じなく、進化させる過程を楽しめるかもしれない。

今回読んだ実践論文の授業は、完全な一斉授業だった。子ども同士のかかわりや学び合いも大切だし、必要だけど、教師が子どもに事実を教える、考え抜いた発問や工夫した資料提示で考えさせる一斉授業も大切だと改めて感じた。
ここまで考え抜いて授業を作って一斉授業を行っている教師もそうそういないのではないか。


それにしても共同研究者として授業資料作成、データ処理、分析、考察も見事。
友だちは、いい仕事をしているなぁ。