きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

聴くと聞く

「聴く」は難しいなと思った。

「勇気づけ」と同じで、「聴く」も相手がそう思ったかどうかだと思うから、聞き手は話をきき、気の利いたアドバイスをしたつもりでも、相手がきいてもらった!と思わなかったら、きいたことにはならないのではないかと考えた。

しんゆうの影響でコーチングの本を読んでいる。

「聴く」は奥が深い。
本当にそれができる人は、多くないなと経験からなんとなく思う。

人はつい、「わたしはこうだった」とか「自分は・・・と思う」と意見を言ってしまうが、本当にただ話すことをだまって聴いて欲しい時もある。
答えは自分自身が持っているのだから。

コーチングとカウンセリングは似ているなと思う。
ただ、出発点と目標地点の違いはある、ということかなと理解した。

ファシリテーションコーチングも考え方は似ているのではないかという気がした。
でも、教師は介入する必要のあるときもあるし、聴いてだけなんていられないときもあるのかもしれない。
いま、その人(子)がどうしてほしいか、その集団にどうかかわるのがいいかを瞬時に判断し、決めることなのかな・・・と。

メモでした。