きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

自信と安全基地

昨日、akasaka先生の講演に潜り込む。U市の教員でもないのに図々しいな、自分。まぁ隣りの市ということで許してもらおう・・・。確か、昨年の今頃、M市でも「安全基地」の話を聞いたよなぁと思い、探すと、あった!


昨年の私の感想。
先生のお話の中でも私は「安全基地」「勇気づけ」の話が一番好きだ。何度かお聞きしたが何度聞いても大事だなと思う。子どもたちに安全基地を作れるおとなのひとりになりたいし、そういうことを知っていて、意識して接していきたいなと思う。
「行動と人格を分ける」の話で自分は行動に注目して認めたつもりの言葉かけでも子どもが人格に注目されたように感じたら「ほめられたいからまたやる」ということにつながってしまい、それは本当の意味で子どもを伸ばすことにならなのかもしれないと怖くも感じた。勇気づけとおなじで相手が勇気づいたか、どう感じたかなのだろう。
お互いの関係性の問題もあるな、大人同士でも言えるよなぁなどと思いながら聞いていた。
一緒に行ったみんなで話した時間もとても楽しかった。仲間がいるってありがたい。

私は、自分にとって「絶対的な」安心感を得られる人が継続していないことが根本的に自信の無さのもとになっている気がした。いいとか悪いとかでなく。先生のお話を聞きながらそんなことを感じてしまった。

今年考えたこと。
自信が「自分への信頼」だとすると、わたしがついいつも思ってしまう「自信のない子」でもないかもしれないと感じた。自分のことは信頼している(と思う)これは自分なりには大発見。自分くらい無条件に信じて肯定しないとね・・・

最後の自立して(させて)どうするか?そのための力を何に使うのかの話にはハッとする。
子どもを自立させるために育てていく私たちのずっと先の目的を思ったから。
自分だけの力は小さいけれど、多くの大人がそんなことを考えていろいろなところで子ども育てをしていったら、社会は結構良くなっていくような気がする。

というわけで、わたしが今できることを明日からもがんばりま〜す。