きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

対応力

これを学んだ日。今日は小学校にて指導教官の飛び込み授業を見せてもらった。子どもの興味を引くアニメとその映像を使っての導入。
言葉に興味を持たせるため、子どもの関心を授業に向けさせさせるための導入になっていた。見知らぬ人が授業をする時の子どもの構えを取る掴みだったなと思う。

授業を参観していて、子どもへの肯定的な言葉かけのシャワーを多く感じた。
直接自分に向けられたものではないのに、後ろで聞いているだけでも心地よく感じた。例えば、手の上げ方、姿勢、話を聞く姿勢、つぶやき、発言、拍手など友だちの言動への賞賛…
いろいろな場面で適切な言動をその都度取り上げて認める、褒める声かけを挟んでいた。授業の中で適切な行為をごく自然に肯定的に取り上げる形で教えていたのだと思う。そうそう、教えることはきっちり教えて育てないとだよねと思いながら見ていた。

また、子どもの不適切な姿勢はあえて取り上げず、よい言動のみの着目して声をかける、よい言動をした時の注目の仕方がものすごく大きいという対応も印象に残った。授業をする側が取り上げることで、それがよいことなのだということをあえて教えていたのではないか。

1時間の授業の中の様々な対応を見ながら、これらの対応は意識してしようとしたとしても1時間ずっととか、毎時間とか継続して行うのは簡単ではない気がした。意識して対応することを積み重ねることで、行為が無意識化するところまでいかないと継続して行うことはできないのではないかと思った。技術を使いこなし、技能化するのはかなり難しいのではないか、ということ。でも、それができるようになると今日のような授業に少しは近づけるのかもね。

授業は途中から「言葉」に関するメインのテーマに入り、個人思考→ペアトークグループトークへ。思考を広げ、そのあとで絞り込むために「グループでひとつ」に絞らせたのだと思った。条件を付けるのは有効だと思う。わたしも総合で、順位づけることをしたことがあるけれど、考えをグループで一つに絞ることも、思考させ、収束させることに使えるな。

また、今日の授業はクラスの荒れへの対応というより、クラスの荒れへの予防の授業だったと感じた。後者の方の(今日のような)予防の授業をもっと教室に増やしていくといいなと思う。
わたしたち学級担任のこれからの課題かな。

すごく学びの多い授業だったけど改善点をあえてあげるとしたら、若干、導入の時間の長さが気になったことだろうか。思考させ、考えを持たせ、出し合い広げ、話し合って収束させる…こんな一連の学習活動を45分でおさめるのはなかなか難しい。

でもこれについては一緒に参観した院生から「それだけの時間のほぐしが必要だったのではないか」という意見も出た。飛び込み授業だしね。もしも、導入の時間がもっと短かったらあのような発言が出る授業にはつながらなかったのかもしれない。そう考えると時間を短くすることがよいとも言いきれないけれど。

それにしても、いい授業を見ることはいい。
いろいろ考えた充実の研修でした。