終了しても1年もたない…
春に大学院推薦で就職したはずの新採用の子がすでに教職を辞めていたことを知る。
6月ごろ、ふとしたところから「辞めるらしい」という聞いてはいた。
事情はよくわからないけれど大変なのだろうな、何かあったのかなぁと心配はしていたんだ。
そして、きっと話してくれるのではないかという気持ちも持って待ってもいた。
でも、そうはならなかった。正直さびしい。
教職を目指し、人より期間やお金をかけて学びを重ねて社会に出た人。
みんなのために率先して動いてくれるようなすてきな人だった。
一緒にあちこちのセミナーに出かけたりもしたり、
本もたくさん買って読んでいた勉強家でもあった。
大学院推薦(今は就職でもそういうものがある時代)を使って、
この時代に採用され、念願の教員生活をスタートさせたはず。
そんな人でさえ、1年、いや半年も持たないのが教師の世界の現実でもあるのだな。
ストレートマスターの人で大学院に来ている人たちは、
就職を先延ばししているわけで、それは家の人に理解とお金があるからである。
かなり恵まれた家庭が多いと思う。
そんな中で愛情を受けて育ち、夢をかなえた矢先に。
初任で、年度の途中で担任を下りるという決断をしたこと、
そうせざるを得なかった事態の重さを考えてしまう。
まぁ産休に入る先生方だってたくさんいることを考えると
それと同じ状況とも言えなくもないし、担任交代はまれにあり得ることでもあるか。
子どもは適応力があると考えればそんなに深く重くとらえることではないのかもしれない。
逆に苦しみ、悩みながらずっと続けることが必ずしもよいとは言えないなとも
思ってみる。
よほどのことがあったのだろう。
わたしは、今の学び直しができる現職派遣制度にとても感謝している。
しかし、今、大学院で学卒院生が2年も余計に学んでも、
1年間の初任者研修を乗り切るだけの力や耐性をつけることができないのかということを考えると、この大学院制度ってなんなんだろうとショックでもある。
このことは指導教官もショックだっただろうと思う。
自分はいったい何を指導してきたのだろうかと感じただろう。
もちろん指導教官のせいなどではないのだけれど。
大学院推薦をもらえるような人でさえ、1年間、仕事を続けられないというのは
どういうことなんだろう、と思うのだ。
向き不向き、性格など個人のせいだけではなく、システム上のことも問題なのでは?と
思うのだ。時代なんだろうか…
そして、辞めたということを人づてにうわさで知ってしまったことも
わたしとしてはかなりさびしかった。
こちらからは聞けないからうわさで知るしかないのだけれど。
確かに仲間には言いにくいとは思う。
でも、やっぱり、受験をするとか、合格したとか駄目だったとか
辞めたいとか辞めたとか、どんな状況であれ、話はしてほしかったなと思う。
それは今年の仲間に先輩が厳しく言ったことと同じことでもある。
社会に出るということは人とのかかわりの中で生きていくということ。
かかわりを断ち切られたような気がしてせつない。
一番せつないのは言えない、会えない本人かな…
ショックだったというか、いろいろ考えさせられた。