きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

教職大学院について思うこと

昨日、友だちと飲みながら最後の方に話したことを
覚えているような覚えていないような・・・で少し気になっていた。

大学院のことについて言ったんだろうかなぁという気がする。

教職大学院は論文を書かない。個人のテーマなどは特にない」
「研究をしたいのなら修士課程へ行けばいい。」と言っている院生の言葉を聞くと
みんながそう思ってる、そうであるというわけではないのになと反発を覚えてしまう。

友だちが言った「…だから~しない」というような言い訳に
教職大学院やゼミを使うのはいやだし、したくないなと思う。

どんなことでもそうですが、自分がしたかったらすればいいんだし、
したくない(必要でない)と思えばしなければいいだけだと思うのだ。

それに教職大学院はこうだ…という枠でくくろうとするには
教職大学院の在り方や周りからの認知がまだはっきりしていないから
無理なような気がする。
できて3年目だし、仕方ないのかもしれない。

と同時に、自分がしたかったらすればいいと書いたが、
したいからといって好きなことを好きなようにしていたり、
あれもこれもとよくばってやったり、出かけていったり、
走ったり(たとえの一つ)する姿は
女性としてはどうなのかな、あまりほめられたものではないのかもなと
いうことも感じている。
これは全く個人的な問題だけど。

今の年齢で一人だから大学院に来たというのもある。
だから時間の多さ、身軽さなどいろんな意味で自由になる今、
できることはできる限りやりたいと欲張りになる。
でも、それが人の生き方としていいのかな~、
ガツガツしていて周りの人(特に男性)は引くんじゃないかな~とも思うこのごろ。
これは「ひくぞ」って言われたことも影響していると思う。


な~んて人がどう思うかを気にしている割にはどこかで
「こんなふうにするのも自分だし」とどこかでまぁしょうがないと思ってもいて
全部を悩んでいるわけでもないのだけどね。

今、わたしはこう思っているということを残しておきたくて書いてみた。