きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

思いを伝える握手

今日、講座の後、指導教官とゆっくりお話できる機会があった。

私はその方のお話を聞くのが好きだ。同じ話でもいい、繰り返し聞きたいと思う方だ。
話の内容も伝えたい本気度も今の自分に必要だと思うからだろう。

それに、聞いていると毎回元気をもらえるし、話そのものを聞きのがしたくないと
強く思うのだ。

何より、話を聞いたり、話をしたりできる時間が心地いい。
全く個人的な感覚なのだけど確かな感覚だと思っている。


その方に今日は改まって感謝の気持ちを示していただいた。
驚き、そして嬉しかった。

私の立場と実力からしたらその方に対してできることは少なく、あたりまえのことばかりだ。
それなのにその方は、私の学びの疑問や願いに耳を傾けてくださり、可能な限り聞き入れてくださる。
もちろん適切な方向づけと指導も。
その方は、実力派で努力家で謙虚だ。
今に満足せず、先を見ている。
私は正しいと思うそれらの行動も、捉えられ方は様々なようだ。
いろいろあるんだろう。詳しくはわからないが、話してくださったことが嬉しかった。

出会ったことで確実に影響を受けていると思う。その方のおかげで大事なことを学び、
たくさんの人とも出会った。


今日聞いたお話はたくさんあるが、嬉しかった言葉は、私が「役に立っている、重要な存在だ」という言葉。
関係性の問題なのだろうけど、その方に言われた言葉は他の誰に言われるより染みた。
認められたと感じてやる気というのか意欲が沸いてくる。
子どもとおんなじだな。

話の中では、これからの自分たちの環境に関係することもあった。
今あるこの環境を前向きに捉えられず、不平不満ばかり言ってはいないかと
考えさせられた。


その方はさらに上を目指しているからか、自分に自分でダメ出しをされていた。
きっといろんなものやこととたたかっているんだなと感じた。

私は、聞きながらそんな風に思わないのになと肯定したい気持ちで、いくつか
私が感じることを話したが、その方を楽にすることはできなかったように思えた。

その方が楽になることをのぞんでいたのかはわからない。話したかっただけかもしれない。
ただ私は自分ならそうしてほしいなと思ったからしたし、
そういう言葉をかけたかったからそうしただけ。


帰路の最後に寄り道をした。
私の好きなお店。
カフェラテをはさんでその方がおっしゃった。

ジェラシーは学びを妨げるよ」


ドキリとした。
その方はうまく「自分にも言えるけどね」とぼかしてくれたが、
私という人間の心の小ささを見透かされている気がした。
はずかしくなり、背筋を伸ばして聞いた。

かなわないなあ。(張り合いたいという意味ではない)

そのあとは、取りとめもない話をしながら、
タイミングを見て、改めて来年もその方のもとで学びたいという気持ちをお伝えした。
システム上、何も言わないのなら継続できるし、
特に言わなくてもわかると言う人もいるだろうが
いつかちゃんとお願いしたいと思っていたのだ。
私の言葉を聞くとにっこりして手を差し出してくださり、がっちり握手をした。
これで2度目の握手だ。


こうして直接かかわっていただける時間やいただいた指導
お聞きしたその方の思いを大事にしたい。
未熟な私は嫉妬もするし、もっともっとを求めてしまうし子どもっぽい。
学びで迷うこともあると思う。
でも、少しでもその方にいただいた思いにこたえられる人間に近づきたいなと思った。

抱いてしまういやな感情を否定はせず、でもうまく処理しつつ
なるべく学びを妨げないようにしたい。


今のこの気持ちを忘れたくなくて、書いて残しておきたかったのだ。