きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

自治能力向上研究会finalにて

最初の自治的集団とは?と定義を考え、共有する
方向づけがきちんとされているのが自分には合っていて
とてもよかった。

最後のラウンドテーブルでは、機能しにくいところはあったけれど、
1日を通して全体の構成がしっかりしていたのはヒット。
たくさん考えさせられたセミナー。

グループワークは、結果的に一人が代表して書いてしまうのが
ちょっと嫌だったなあ(´;ω;`)
その言葉じゃないなあと思うこともあったから。
ペンが十分な本数なかったこともあるかな。
些末なことだけど。対等って大事だなと実感。

小学校と中学校の実践から議題提案をする
クラス会議セミナー風の発表とGWもなかなかよかった。
一見うまくいっているようにみえる実践でも課題はある。
子どもの育ちを教師がどうとらえるかにもよるんだろうな。


でも、やっぱり、自治的集団へ移行するジャンプの方策が
具体的にわからないまま終わってしまったところは残念。自分の課題。
教師の力量、キャラ、子どもの実態のや学年によっても
様々なんだろうけれど
もう少しヒントが欲しかったなあ、セミナーをその場の一つにしたかった。
GWも最後のテーマ別ラウンドテーブルもそこまでいかなかった。
これは議題に関する質問というか確認によって
逆に包括的な話にならず、ある話し合いについて焦点化してしまったため。
結果的に時間がなく、自分が知りたいことまでは話せなかった。

行くときは知り合いの先生にコンビニで会ってほっとした。
しかし本音は、テーブルは別になった方がよかったが仕方ない。
まあ話しやすくはあった。
お昼は大学の同級生と。気兼ねなくいろいろ話せた。
帰りはリフを期待して、サークルメンバーと帰路。

旧知の友に合間にセミナーの作りについて聞こうと思ったけれど
なんだかんだと話す時間は少なかったのも残念。
覚悟していたことだけれど。
それは講師の先生も同じ。
感情で揺れるので終わって早めに部屋を出た。
自分の感情はやっかいだな。
でもこれも自分だから仕方がない。
先生の話を聴いていて、子どもの今やこれからを語っているのに
自分にも当てはまるなと思うところがあって突き刺さる。


途中までリフをしながら帰る。
自治的集団の文献上の定義が果たして中学校に当てはまるのかという指摘には
考えさせられた。
それは学級開き本でも感じた違和感につながったから。

考えることは多いけれど
明日すぐに…とちょっと感じにくいのがわれながら切ない。
環境か関心度合いか、それとも感情か。

ゴールを描ける、それが来年度できるだろうか?