きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

FG再考

ある講座をFGした。
なぜ描くのか。描きたかったから。これは裏のねらい?(^-^)
そこに本質、そもそもをくっつけるとすると…

わたしが描いたものはわたしの切り取ったものでしかない(^▽^;)ま、このグラフィッカーはそう感じたんだということで…
レコーディングとしてのファシグラは、なるべく忠実に記録して残したい、受け取るのは参加者だからオーソドックスに表現しておきたい…という気持ちがある。
でも、この先生の講座を聴くのが複数回目だったことや感情を揺さぶられるような場面、子どもの事実などがあると、やはり自分が出てしまう。それが記録者としては弱いのでは?と思うが、「グラフィッカーも場の一部」なのだそう。だから、一参加者として、講師の伝えたいことを受け取ったということでいいのかなと。


要は、振り返りのツールとして活用できるFGをしたくて描きたかった…的な(^▽^;)
でも描きたいように描いたからそれに耐えうるかどうかは。
そもそも、セミナーの企画にWS形式があったわけでなし。
出すぎちゃったかなという気持ちもぬぐえず。

言い訳するわけではないけれど、迷うとなぜかを書き出し、安心したくなる。


したいことをするのだ。
もうしばらくね。