きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

コスト

学期末。
勤務校は、子どもを評価する場面が多い。学力、心、体力が主だが、小さいことでは、読書、テレビやゲームの時間を省けたかなどもある。

異動してきたばかりの昨年の今頃は正直とまどった。まわりについていくのに必死で、これがよいとか悪いとか考える余裕もなかった気がする。

金曜日の放課後、職場の若い先生が「4月からすごくバタバタしていた。(この学校に来て)年々、忙しくなっている気がする」と言っていた。
学力向上部からは話す・聞く・書く部門で子どものがんばりを評価してもらい、学期末に表彰することにしている。図書館部としての読書貯金の表彰もある。だから、提案者としては心苦しい気もして聞いていた。

でも、子どもたちは、シールをもらいたい、表彰されるのが嬉しい、認められたいと意欲をもって取り組むので、これはこれで子どもを認める一つの手立てじゃないかなと思っている。
ただ、子どもを認める場面が多い分、教師の負担も多くなる。評価する(ノートを見る、シールを数える、図書のページ数を確認する、各部の主任は賞状やメダルをつくるなどなど)
昨年自分が、成果が見えないまま言われるがままにやっていた時は「やらされている感」があった気がするし、大変であることは確か。コスト(言葉は適切ではないかもしれないけど)をたくさんかけることがよいこととばかりは言えない。
けれど、1年たち、思うのは、多忙感だけでいろいろなことを縮小していくのはどうなのかなぁということ。コストや労力以上に子どものがんばり、のびが見えると期待できることなら、多少のコストや労力をかけてもやりたいし、手間もお金も言葉も…何もかけないで子どもがのびるなんてことはないのでは?とも思うのだ。

ただ、組織だから、しぶしぶやっている、やれと言われてやっていると思うような職員が多くなると、手立ても再考した方がいいのかな、とも。
同様の効果があって、コストや労力が低い他の手立てがあるといいんだけれど…

こんなことを感じているということを教頭先生に話すと、聞いてくださり、教室の掲示物の進化により、評価のポイントを変化させる、レベルアップすること、「あたりまえ」を増やすことで、シールで認める等の回数を減らすこともできるかもね、ということをおっしゃった。なるほどね。
そして、やらされるのではなく、「手立てをうまく自分が使うこと」と言って、教頭先生が理科で実際に取り組んでいるやり方を教えてくださった。そして「こういうことを夏の研修で話し合えばいいだよ」と。
そうかもしれない。よい方向に改良していければそれが何よりだから。