きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

勇気をもらう

昨日はとても心地いい時間を過ごした。仕事をやりくりして生み出したとても貴重な時間。元気も勇気ももらった。張りつめていたものがゆるんだというか、ゆるませたかったのでそうできてよかった。とにかく久しぶりにほっとできた。

話すは放す、離すでもあるんだそうな。経営と運営、効果と効率なども教えてもらう。メモをほとんど取らないのによく覚えているなぁ。端々に「育てる」視点を感じた。立場が人を成長させた?もともとそうだったのだろうか・・・

きいていて、今まで以上に尊敬する気持ちがわき、刺激も受ける。実際の仕事の話を聞いたからか、やっていることとその考えになるほどなぁと思ったし、かなりハードな環境の中でよくやっているなぁ・・・とも思った。自分のことだけでなく、全体のことを考えているし、借り物ではない「自分の実践」をしていると感じた。
そして、勇気づけ勉強会でのマンションの話を思い出し、わたしも一緒にいて似合わないとならないように成長していたいと思った。それが受けた刺激。それなのに、「今のままでいいと思う」とぽそっというので、今の(自信のない)わたしを肯定された気がして、嬉しくなる。

以前は、もっとたくさん話したり、馬鹿なことをして楽しんだりしてほっとするゆるみの時間をもう少し多く作れていたと思う。でも、環境が変わり、仕事優先になったことからなかなかそういう時間を生み出せずにいた。人に受け入れられてほっとするゆるみや安心を感じるのは安全基地ってことではないかと思う。大人になるとそう多くはとれないけど、たまには人との間でゆるみを感じないとだなぁ。

ありがとう、夏休み!

なんでもそうだけれど、関係性の問題なんだなと思う。子どもとも職員とも、家族や友だち、恋人やしんゆうとも。

居心地のいい関係性を保つには互いの努力。
アドラー心理学的に言えば、相互尊敬、相互信頼はまず自分から、だね。

嬉しかったので書いておく。