きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

実践を客観的に振り返るために

今日の午後、指導教官ではないけれど同じ大学院のN先生のところに伺い、自己肯定感尺度のことについてお聞きしてきた。

自分の実践についてどこがどう子どもたちに影響したのか、ある視点からデータを取り、質的データで客観的にみたいと考えている。

自分の疑問以外にも次のようなお話を聞くことができた。
・4件法と5件法のこと
学校評価に関するアンケートの作成留意点
・尺度の作られ方
・結果から考察するということ

先生のアドバイスをいただき、個人テーマの研究で使いたい尺度についても自分の中では決めることができた。明日、チームのミーティングで提案してみることに。

ただ…私の入るクラスのみで、隣のクラスは無理にとらなくてもいいかなぁとも
思っている。「学校支援」という名のフィールドワーク、交渉することの困難さ、
授業者が他の院生であることなどを考えると無理をしないでもいいのかなと思うから。


色々なお話をお聞きしながら教職大学院のあり方について先生のお考えに賛成するところがあった。私も今考えている「修士だからこう、教職大学院だからこうというのではなく、院生が選択できるよう、いろいろな追究の仕方、まとめ方があってもよいと思っている」ということも話した。

教職大学院ならではのよさを前面に出すことも大事だけれど、教職大学院だからこうする(こうはしない)などと狭めていくことで、学ぶ方法や選択が狭まるのはもったいないなと思う。

M2だから感じるのかもしれない。やっぱり2年間も派遣してもらったのだから、
修士論文を書いていない」→「書いていないけれど書き方は分かる」
              「修士論文ではないけれど論文は書いた」
「データの取り方が分からない」
→「データを取る研究はしなかったけども基本的なことは分かる」
こんなようになって修了したいと思っていることなども話した。すっきりした。

N先生はデータを取ることの大切さと同時に、子どもの記述などの量的データから考察することもできるとおっしゃった。これは指導教官であるA先生もよくおっしゃることだ。

うちの大学院は、自分の指導教官以外でも御指導いただけるようになっている。
A先生もいろいろな人に学ぶことを否定されず、むしろ勧めてくださる。


M2院生の中には、元の尺度から対象生徒用に言葉を修正して尺度を作成する際のきちんとした手順を踏み、自分で因子分析を行っている方もいるともお聞きした。親しくしている仲間のことだ。
そんなことをひっそりと個人ですすめていたのかと思うと仲間ながら改めて尊敬してしまう。


今日みたいに個人的にていねいにご指導いただいても、支援校で尺度を取れるかどうか、取れても結果がどう出るか、授業改善に生きるかどうか、自分の考えていることの客観的な裏づけになるかなど先行きが分からないことも多い。

でも、やってみなくては分からないし、やってみたいと思う。
そして、これを学びたいと思う時に教えてくださる先生がいることは幸せな環境だと思う。伺ってよかった。指導教官にも御指導いただいたことを連絡をした。

あとはこれをどう生かすかだ。