きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

嵐のような1週間

先々週、引っ越しをした。久しぶりの引っ越しはなかなか大変だった。
とりあえず生活に支障がないが、開けない書籍入り段ボールがたくさん残った。
今、出しても読まないと思う。
講座ノートを探すため、段ボールをいくつも開けたが見つからず。
今日、ようやくネットが開通したのでさらに快適になった。


先週は、大切な人の話を何日も聞いていた。
いろいろなことがあり、かなりきつそうだった。
普段はどちらかというとあまり音沙汰のない人が毎日連絡をくれたのは嬉しかったけれど
ちゃんと話さなきゃという選択の元、突然のことで驚いたし、
少々痛みもあった。
自分の感情の問題だと思ったけれど、相手には
思っていることも伝えた。
聞くのは苦しかったが、かなりフォローもあり、
結果的にはお互いの考えていることを伝え合ったからよかったなと思う。
しかし私が話したことの一部は、Aさんも同じことを言ったとかで
なんだかなあという気持ちであった(-_-;)
細かいAさんとのやりとりも聞くことになり、
快不快でいえば不快でもあった。


人間関係は難しい。
私だって深く付き合うことをできるだけ避けながらそうならないようにふるまっている。
結構不器用なのだ。
自分の生き方を自分で選択し、決めてきたわけだけど
今ここを機にこれでよかったと思えるだろうか。
目の前の優しさにただ考えなしに選んではないだろうか。
良し悪しや損得。
それだけじゃない、なんてきれいごとだったりして。
全部を望まないのは、それを言えば変わることが分かるから。
そして本当は多分、望まない。
自分に引き受ける自信がないのだ。

今回Aさんは、感じたことと願いを正直に言っただけ。
私にはできなかったことを。

大きな行事が終わり、落ち着いて考えると
自分の選択に相手が甘えているなとわかる。
自分の選択や環境を変えずに現状を維持したいというものだから。
困難な方を選択することで
完全にクリアしない日々を私自身が選んできている。
もう長いこと、ずっと。