きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

主事訪問授業研を終えて

昨日終わる。若手が授業を公開。
授業については、教科の特性を中心に、ある面的確に指導をいたたいだ。
校内では、日々教科のエキスパートから的確な指導をもらうことが難しい現状であり、
これはありがたいことでもある。

授業だけでなく、私の関心は、協議会を含めた校内授業研修のあり方にある。
・授業研究のあり方
・協議会の持ち方
・コーディネートの仕方
・参観者の力量形成にどのように寄与できるか
・力量形成の場をどうやって作れるか


昨日はKJ的手法で協議会を進めた。
が、意見を出しながらまとめることは難しかった模様。
なにせ協議が30分しかないのだ(^_^;)
でも、取れても45分だろうな。それが学校の現実。
だから30分でできる効果のある研修を作りたいのだ。

昨日、主事の話の中で付箋の使い方については
アドバイスをもらった。
そういえば、前々任校では、授業を見ながら描くように言われていた。
あの頃のことを思い出した。
思考ツールも使っていたっけ。
もっと勉強しておけばよかったな(^▽^;)

授業者の先生にとって、提案した分の学びがあっただろうかと
考えている。
今朝見たあるページに研修会のあり方についての論考を見つける。
秀逸。


これまでの研究会は自分も含め、「今後の自分の実践へいかそう」という自分のヒントをまとめる、という趣向が強かったように思う。しかし昨日のファシリテーションは最終的にヒントを得たというよりも「新たな問い」を各自が得ていく時間として機能していたように感じた。研究会が「答え」を得る場ではなく、各自が「問い」を得る場となっていた、これは自分にはない視点。しかも研究会によって深化され、顕在化された「問い」を。提案者である自分たちには「何を学んだか」という各自の「答え」を問うていたのに、なぜあの場が「問い」を得る場として機能したのか、あの場で出た言葉を借りると、ファシリテーターが限りなく「透明人間」になりながら、時間の許す限り各自が各自が自動的に「問い」を深めていく時間になっていたこと。それらを講師が「答えは各自の中にある」という言葉でまとめてくれたこと。あの時間に一体何が起こっていたのか、というのが実は自身の一番の「問い」である。