きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

グラフィッカーフェスティバルin函館にて

楽しみにしていた勉強会。
コアなメンバー。

・実践交流
・FGの基礎基本
・描いて比べる


参加者がみんなグラフィッカー。互いに描いたグラフィックを見合った。
普段、描いている人たち、初めて描いた人ともにそれぞれ、レベルが高かった。
センスも抜群。

比べて見て、描き方のタイプがあることを実感。
それは聴き方というより、思考の仕方なんだなと思う。
よしあしではないし、いくつかのタイプがあって当然だけど
やはり、目的によって使い分けられるように
どちらもできたらいいなと思う。
欲張りだね(^_^;)
そして、自分の癖でもあるけれど、できないことができる別なタイプの方に
強烈に憧れる…
美しかったし。


わたしはいろんなことを知らないなぁ
学び方が自分勝手だなということがハッキリしてしまった。
これは、少し苦しい。


FGはツールであるけれど、生き方が反映されると思った。
LHAを描いたこともあるかな。
なんでも、実践やそのベースの考え方を選んだ時点で反映されるものなのかな…。
だとしたら、自分が何を選択するか、だ。


何のためにわたしはFGをするのか?
したいのか?

再考した結果、ファシリテートを学びたいのかなぁと。

自分のことがはっきりしたり、もやもやも残ったりで、もともとない自信を減らして帰宅。レコーディングとファシリテートは別個のものですみ分けたいと思っていた。
でも、そうじゃないかもしれない。
相乗効果になるのではないか。

場づくりができるチカラは大きな機能。
人と人とをつなぐツールになりうるFGの可能性を感じた。

若い方が多く、遅いよな…とも思ったし、
できっぷりに自信もなくしたけど、行ってよかったと思う。

少し整理したい。