きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

空回りの日

今日は研修関係の仕事で、学力テストの分析の観点を昨年と少し変えようかなと思い、枠を作ってみた。
しかし、管理職と話していて助言を受け、
本当にそこまで必要なのかどうかということをもう一度考える。

1 観点別からでは見えないところを見えるようにしたい
2 中学校区の提出資料にいずれ必要
という気持ちから、分析の観点を変えてみたかったんだけどなぁ…


1は、学年ごとにそれぞれの弱かったところは、
それぞれ担任が補充すればよい、
校内研修の方向性を決める資料としては観点別から考えるのが一般的
という指導をもらう。


2 今、まとめておけば夏休みの会議資料になるから…と思ったけれど、
無理に形式を他校に合わせなくてもよい、他校のその形式が本当に校外に出す資料としてふさわしいかというような話にもう一度考え直す。

ちょっと形式を変えて、数字で見える「学力」を検討する材料として残しておきたいなぁと思ったのも正直なところ。
だって、「読む力」とか「数学的な考え方」の観点だけでは
たとえばどんな問題に対して弱かったのかまで自学年以外わからないし。
それに、担任の先生方には、他学年の問題にも関心をもってもらいたいなぁという裏のねらいも実は持っていたんだけどね。自分も知りたいし。
でも、うまく伝わらなかった。


そして…
や〜めた。

考えていること、新しくすることのメリットを自分なりに話したつもり。
でも、「それはいいね」と言ってもらえるようなことでもない限り
無理に変えてもなぁと保守的な気持ちが働き、最終的には元通りに。

こう変えたいといったんは思ったのに、
あれこれ言われるうちになんだかデメリットばかりを感じ、
結局何も変わらないまま。

なんだか気持ち的にはすっきりしないところもあるけれど、
すぐにや〜めたと思ったのは、きっと本当に改善したいとまでは
思っていないのだろうと自分で自分を納得させる。
形式なんて大した違いはないんだろう。

本当に変えたいこと、したいことならきっとそうするだろうから。
でも疲れたな。
無駄とは思いたくないけど
ちょっと空回りの日。