きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

シール大作戦に思う

勤務校はいろいろなことに対し、シールを与え、カードに貼り、できたことを可視化している。
たとえば、あいさつ、話す(長さ、内容)、聞く(姿勢、態度、体の向き)、ノートに書く(内容、長さ、丁寧さ)などなど。
シールの色も評価の内容もなかなか覚えられないし、評価することが多すぎ、項目も細かいなぁと最初はとてもとまどった。しかし、この数年、しかも全校で取り組んでいるので、1年生もできるところから・・・と思い、話す聞くを中心にシール大作戦に取り組んできた。
授業中に、よいと思った行動が見られたときは子どもの手の甲にシールを貼る。また、机間巡視をしながら、ノートにもシールを貼っていく。子どもはそのシールをあとでカードに貼り直す。
うちのクラスには支援員さんがいてくださるので、話の聞き方のよい子や発表した子などにじゃんじゃんとシールを貼って評価して認めてくださった。これはなかなかありがたかった。
4・5月でどのくらいできているかを子どもたちに振り返らせる中間評価をすることになった。主に私の方で子どものシールの枚数を数えて伝えた。
保護者にも取り組みを学級だよりで紹介することにした。けれど、なぜシールなんだろう?完全な外発的動機づけじゃないか!と最初はかなりの違和感があったことも正直なところ。3ヶ月目に入り、自分がだいぶ慣れてきた。シールの色も覚えたし。
今は、子どものノートにシールを貼り評価することは、子どもは何が良かったか、何をがんばればよいかが分かるので悪くはないなという実感である。

でも、なぜシールなんだろう。手軽だから?
なぜシールを与えるのか?について考える。
子どもの伸びや努力の可視化と即時フィードバックのためかなと思い、研修部から出ている資料を読み直すと、子どもの意欲の持続もねらっていると書いてあった。
子どもはシールのために、シールが嬉しくてがんばっているというところもあるからシールも意欲を起こす一つの有効なツールではあると思う。低学年だし。
けれど、そこからもう1歩先に行きたい。シールの枚数をためるためとか、学期末に表彰されるからとかご褒美に関係なく、話す人の方に体を向けて聞く、とか、文字は丁寧に書く、とか「当たり前」のことが「当たり前」にできるように育てていきたいんだよなぁとも思う。そこに行くまでには、時間と手間をかけたシールなどのものや賞賛、励ましの積み重ねなんだろうか。