きょんどう通信

公立小学校の教員 勇気づけの学級づくりに奮闘中

我が家

縁あって17日の夜から実家に東北のNさん一家が4人ほど一時避難に来られた。わたしの地元は、施設での避難所開設の前に民泊を始めることになり、我が家も手を挙げたらしい。
どんな方々が来るのかな、小さい子もいるので騒がしく、ゆっくり休めないのではないか、母親の具合は大丈夫なのか…いろんなことを思いながら手伝えることがあればと思い帰省する。

しかし、わたしの心配をよそに、避難されてきた方々は子どもの笑い声、泣き声を迷惑に感じることもなく、一緒に過ごしている。しばらくは大所帯で、狭いながらも楽しい我が家という感じ。毎日が宴会。
わたしの地元は6年前、中越大震災を経験している。突然、家に住めなくなるつらさは分かっているつもり。でも、あの時も家族も村の人たちもわりと明るかった。6年前も今も感じたことだが、あんなに大変なめにあったのに人は強いなぁ…と思う。

東北のお家は幸い無事だったようだが、原発の関係で避難することを決めたとのこと。ご家族は無事だったそうだが、連絡がつかない親戚の方がいらっしゃるとか。せつない。誰でも故郷を離れるのは嫌だろうし、つらかっただろう。

民泊の期間は決められてる。今日はうちの市の職員が我が家に来て、その後の動きについてNさんの希望を聞いていった。我が家の後は避難所として開設される体育館に移ることになるそうだ。そこには一緒に避難してきた近所の方々も入るらしい。ふるさとへ帰れる状態になるまで希望すればいつまでもいられること、暖房も入っているので温かいこと、食事は市で保証できるというお話があった。その避難所は市の中ではしっかりした施設だし、食事も確保できるのでまずはよかった…とも思う。しかし、共同生活は長引くといろいろなストレスもあるだろうし、決して楽ではないはず。Nさんたちはふるさとの動きや指示を待ち、いずれは地元に帰りたいとのこと。
しばらく大変な日々が続くかもしれないが、できるだけ早く地元に帰れるといいなと思う。

ニュースを見ていると原発が気になる。今回の地震を機に、なんとか見直せないかな…と。